最後の人に出逢えたよね
みゅうくんのジャニーズJr.人生が残り1週間となりました。
毎日、朝起きて、あぁ〜みゅうくん元気かな?って思って、
毎日、夜寝るとき、みゅうくん今日はなにしたのかな?って思って、
日常のあらゆるところにみゅうくんのカケラをみつけて、
みゅうくんが躍った曲を聴いて、
みゅうくんが歌った曲を聴いて、
みゅうくんがベースで弾いた曲を聴いて、
毎日毎日みゅうくんのことを考えて、思って、そんな風に1日1日が過ぎて行く。
あの発表があった日。
わたしは、舞台挨拶で会ったみゅうくんを思い出してた。
目の前が真っ暗になって、なにかで頭を殴られたような痛みが襲って、、
なんで泣いてるのかわからなくて、でも涙は止まらなくて、ただ、みゅうくんに会いたかった。
堪らなく会いたくなった。
泣きながら知らない間に眠ってしまってて、翌朝、起きても現実は変わってなんかいなくて、、、。
無意識に、2012年12月の少クラXmasスペシャルのdisc を手にとって再生した。
当時、わたしは特にお気に入りのジャニーズjr.が居たわけでもなくて、
ママや友だちがキスマイ気になるって言ってて、KAT-TUNデビュー前とかよく少クラ見てたな、もう中丸くん司会じゃないよな〜とか思いながら(笑)
たまたま偶然、家に居て、何年ぶりかに少クラをリアタイで見た。
そこには、Travis Japanとして「雪が降ってきた」を歌ってるみゅうくんが居て。
「森田美勇人くん」
なんとなく、名前だけ聞いたことある。
昔、小さい頃だれかのコンサートで見たことある。その程度。
だけど、すごくすごくかっこよくて、躍りが上手くて、チャラそうなのにふわっと笑う人で、惹き付けられた。
気づいたら、みゅうくんのことばっか目で追ってた。
そんな風に、始まった。
始まりなんて、はっきり思い出せないくらい曖昧。
顔がタイプだったわけじゃないし、一目惚れでもないし、かっこいいな、から、いつ好きになったかも思い出せない。
『運命』だったのかな?
あの日、少クラをつけてなかったら、わたしはみゅうくんのこと見つけてなかったかな?
みゅうくんをすきになって、応援するようになって、こんなにも月日が経ってた。6年も過ぎてた。
大阪に住んでるわたしには、みゅうくんに会いに行くことは簡単なことじゃなくて。
でも、遠征するの楽しくて、新幹線に乗るのも、飛行機に乗るのも、楽しくて。
みゅうくんに会える日の前日はいつも緊張して、寝れなくて、でも、ブサイクな顔で会いたくなくて、みゅうくんに会いに行く日はいちばん綺麗な自分で居たくて、みゅうくんの目に映ったとき、少しでもかわいい自分で居たくて、
みゅうくんがポニーテールが好きだと言ったら、その髪型したり、みゅうくんの髪色とおなじ色にしたり、
はじめてみゅうくんに会いに行った日から6年間、その気持ちはいつも変わらなかった。
頑張ってるみゅうくんを見ていたくて、日に日にかっこよくなっていくみゅうくんにドキドキして、例え出番が少なくても、メインじゃなくても、先輩の後ろでも、後輩の後ろでも、立ち位置が端っこでも、手を抜かないみゅうくんが好きで、会いたかったから、会いに行った。
知らない土地に行くのも、知らない電車に乗るのも、ひとりでホテルに泊まるのも、
原動力はぜんぶ、みゅうくんが好きで会いたい。それだけだった。
大きな口をあけて笑うのも、綺麗な白い歯も、長い指も、首が長いのも、手首足首が細いのも、背中の腰辺りにあるほくろも、こめかみ辺りの小さいほくろも、そんなに大きくない一重の目も(☜たまに二重になってる)、1cmもある長いまつ毛も、綺麗な眉毛も、
スーツが似合うのも、めちゃくちゃ字がキレイのに絵が下手すぎるのも、体力あるのにすぐ体力なくなるっていうとこも、お腹冷えちゃうからって5月とかでもヒートテック着てるとこも、未だにちょっかい出したりいたずらしたり子供みたいなとこも、薄味しか食べれなくて豚骨ラーメンむりとか言うのも、泣ける映画観て素直に泣くとこも、虫、動物、生き物が苦手で怖くて大嫌いなとこも、魚掴めないとこも、オールバックとかおでこ見える髪型似合わないとこも、
難しいセットができないのも、朝が弱いとこも、喉痛めやすくてよく咳してるのも、意外と負けず嫌いで他人のすごいとこ素直に認められないのも、
気分屋なところも、嫌いだけど、好き。
ほんとは誰より努力してるのも、たくさん練習して、できるようにするのも、イライラしてたら誰とも喋ろうとしないのも、流行りに乗っかるのに、人と服とか被るの嫌で、でもしめにはお揃いのTシャツあげるのも、
大我と子供みたいな口喧嘩してるのも、ちゃかちゃんって呼ぶのも、やっすーって甘えるのも、顕嵐ちゃんを弟みたいに可愛がってるのも、れおくんが入ったときだれより気にかけてたのも、
なにより、ダンスが好きで、だれよりダンス上手くて、ベース弾く姿もかっこよくて、演技してるのも、モデルやりたいって言って実現させたのも、、、、
見た目も中身も、書き出したらキリがないくらい、たくさんすきなところをみつけた。
たくさんのみゅうくんを知った。
たくさんみゅうくんの優しさに触れた。
jr.にQでたまに河合くんにタメ口で返したり、宮田くんの前でもたまにタメ口になるのとか、それよくないよ、って思うときもあった。
真夜プリで、人の話聞くとき腕組んでるのもだめだよ、って注意したくなったときもあった。興味ない話だとMCで黙り込むのも、嫌だなって思った日もあった。眠いと適当に返すとこもちょっと嫌い。
忙しいのわかるけど、掛け持ちだから時間ないのわかるけど、ソロ曲かえて欲しかったと思ったこともあったな。
気づいたら、こんなにも好きになってた。
みゅうくんより、3年と少しはやく生まれたのにわたしは全然強くもなくて、弱くて、しっかりもしてなくて、特技は、どのステージでもみゅうくんのことすぐに見つけられることしかなくて、自慢できることは、みゅうくんのことしかなくて、
みゅうくんが居ない世界で生きられなくなってた。
9歳で、ジャニーズJr.になったみゅうくん。10歳になった頃、ファンレの返信に、夢は、『ユニットを組むこと』って書いてあった。
そんなみゅうくんは、20歳で、ユニットを掛け持ちした。
みゅうくんは、生まれかわってもまたジャニーズJr.になる道を選ぶ?
わたしは生まれかわっても、またみゅうくんに出逢える?
みゅうくんは、しあわせだったかな?
わたしは、生まれかわっても、またみゅうくんを見つけて、みゅうくんのジャニーズJr.としての人生、13年6ヶ月、できるだけ、ぜんぶぜんぶみたいなって思う。
6年前のあの日から、みゅうくんを選んで、好きになってから、後悔した日は一度もないよ。
辞めたいと思った日もない。
それだけは言い切れる。
今もこんなにみゅうくんが大好きで仕方なくて、毎日毎日みゅうくんのことばっかり考えてて、会いたくて、会いたくて、、、
みゅうくんの声を聴けなくなって、雑誌で近況を知ることもできなくなって、寂しくて、好きな人に会いに行く友だちたちを羨ましいと思うときもある。
いつまで耐えられるかな、、、不安に押しつぶされそうで、不意に涙でてくる日もある。
でもね、きっと、わたしなんかよりみゅうくんの方が、何倍も不安だと思う。
映画の取材で、雑誌やテレビで、ニート役について、みゅうくんは『バイトもしたことなくて、ニートになったことがない』って答えてた。
小学生からジャニーズしか知らなくて、今までいた世界と一気に環境が変わるの、不安じゃないわけないよ。誰だって、違う世界にいくのこわいよ。
ココ最近のみゅうくんの言葉を思い出すと、みゅうくんは何度も『表現者として、芸術的なこと全般を伸ばしたい』とか、『表現することが好きなので、その幅を広げたい。ダンスを中心に見聞を広げたい』って言ってた。
みゅうくんがそう言うなら、そう思うなら、わたしはそんなみゅうくんを見ていたいよ。
5年後も、10年後も、みゅうくんを好きでいたい。
25歳のみゅうくんや、30歳のみゅうくんや、大人になっていくみゅうくんをずっとずっと見続けていたい。
みゅうくんはどうなっていくかな。
次、みゅうくんに会える日は、いつかな。
立ち止まったりしない、常に前を向いてて、自分を向上し続けるみゅうくんだから、その日までわたしも毎日頑張って生きる。
舞台挨拶で見てくれた団扇も、
会場を見渡しながら言ってくれた、
『これからも宜しくお願いします』も死ぬほど嬉しかった。
信じて待ってていいよね?
13年6ヶ月、ジャニーズJr.お疲れ様でした。
Travis JapanとLove-tune
夏がはじまる前にどうしても今の気持ちを吐き出したくて、誰かに共感して欲しいわけでもなく、同情して欲しいわけでもなく、ただ、森田美勇人ファンの独り言。
*2015年1月。
青山劇場閉館と共に、【PLAYZONE】が幕を閉じた。
みゅうくんは『2008年.2010年.2011年.2012年.2013年.2014年(1月は日生劇場でも).2015年』と7年間(Travis Japan結成は2012年)トラジャのメンバーとステージに立ってきた。
プレゾンがなくなるとトラジャもなくなる気がして、当時は何となく先が見えない、そんな感じ。
みゅうくんは個人として今までもトラジャ以外で少クラ出たり、BBJのときに謎選抜があったり、セクゾバックがあったり、いつでもトラジャで居たわけでもない。
*2015年2月。
ガムパVol 8。Vol9。
バンド形式のライブで、みゅうくんはベースで、安井くん萩ちゃんさなぴたちと一緒で、この頃から安井くんたちとのステージが多くなって、みゅうくんがベース弾く機会も多くなって。
クリエが発表された。
みゅうくんは、IとH両方に名前があった。
Iはしめちゃんのえるひろき.MAD.MADEと、Hは安井くん萩ちゃん諸たちと。
みゅうくん2パターン出る!って嬉しいしかなかった。
*2015年5月。
夏の予定が発表された。
ガムシャラサマーステーションEXシアター。
みゅうくんはチーム我だった。
“あぁ〜今年はホントに青山劇場に行けないんだ。プレゾンがいいんだけど”
本音はそんな気持ちだった。
同時期くらいに、マッチさんの35周年ツアーのバックダンサーがトラジャって発表された。
トラジャだけに作ってもらえた変な衣装すら愛しくて、あんなに揃わなかったトラジャがマッチさんで揃うんだって嬉しかったな♡
地上波のガムシャラで、チーム我の練習風景が放送され始めて、みゅうくんはやったことないバスケ🏀を1からがんばってて、当時、今も仲良しな樹担と出逢ったこともあって、チーム我での夏が楽しみになってきた。
*2015年7月〜8月。
大忙しの夏が始まった。
7月19日 マッチさんツアー仙台
7月31日 マッチさんツアー鹿児島
7月24日〜8月19日 ガムシャラ
8月2日〜8月5日 風磨ソロコン
ガムシャラで、安井くん宮近くん顕嵐ちゃんたちの覇と戦うとき、宮近くんに“ぜって〜まけねぇし”って張り合ってるのが可愛くて。
みゅうくんはひと夏で31公演こなしてた。
風磨ソロコンでは脱水症状なりかけて、
チーム我は日に日にパフォーマンスがレベルアップして、優勝できなかったけど、わたしもみゅうくんといっしょに戦った気がした、忘れられないみゅうくんの10代最後の夏。
*2015年9月。
9月3日(〜30日まで)ドリボが始まった。
9月7日.8日 マッチさんツアー大阪
9月10日 マッチさんツアー名古屋
9月21日 マッチさんツアー広島
間にマッチさんツアーがあって、見事に日程被ってて、大阪も名古屋も広島もツアーのチケを持ってたわたしはみゅうくんがドリボなのかマッチさんなのかわからなくて不安で、会う友だちに散々聞いてもらってた(笑)
(結果、マッチさんツアー優先でドリボは欠席)
8ヶ月ぶりに、アンダルシアを踊るみゅうくんみたとき世界一かっこいいって本気で思った。
決して出番は多くなかったけど大先輩のバックダンサー誇らしかった。
ドリボで、みゅうくんがデザインした衣装を着てた。
白と黒の組み合わせで、可愛くて、みゅうくん自分自身のも、安井くん萩ちゃんさなぴのも個性がちがう衣装で、嬉しかった。
*2015年10月
駆け抜けた夏と秋が終わった。
みゅうくん休憩時間。(安井くんと顕嵐ちゃんとハワイ行ってたよね😦)
みゅうくん二十歳の誕生日。
*2015年12月
12月11日.12日 マッチさんのツアー武道館
みゅうくんと顕嵐ちゃん以外のトラジャメンバーは嵐のバックについてた日もあり。
みゅうくんたちはジャニワ?とか言われてて、クリスマスに新春の滝翼コンバックがトラジャだと判明した。
(カウコンにもみゅうくんと顕嵐ちゃんは居なかった)
*2016年1月*
1月3日.4日 滝翼横アリ
1月6日.7日 滝翼城ホ
9人で、やっと、翼くんが作ってくれたオーダーメイドのスニーカーを履いてた。泣いた☜
当時、雑誌でしめちゃんがこれからの方向性やトラジャとしてどうしていきたいかとかを事務所の方に話したって言ってて、この頃から9人でいる機会は明らか増えた。
*2016年2月
クリエが発表された。
今年もみゅうくんはふたつ名前があった。
2パターンになって、公演数も増えた。
*2016年3月
クリエ当落と同時にLove-tuneってユニット名がついた。
わたしはみゅうくんが好きだから、みゅうくんの活躍の場が広がるのなら嬉しかった。
だけど、心無い声もたくさん聞いた。
いろんな気持ちのひとがいて、いろんな想いのひとがいるのはわかってる。
心無い人たちの声がどうか、みゅうくんの耳に入りませんように...そう祈ってた。
*2016年4月
嵐アリーナツアーバックに出ることがわかった。
4月23日.24日 嵐ツアー福井
夏の予定が発表された。
今年もEXシアターの夏。
みゅうくんは、Travis JapanとLove-tuneどっちにも名前があった。
トラジャはストと一緒。きょもみゅ〜♡
らぶはスノと一緒。いわもっちゃん♡
*2016年5月
クリエスタート。
5月2日〜5日 Travis Japan
5月6日 Love-tune
5月7日.8日 嵐ツアー広島
念願の9人でのTravis Japanでのコンサート。
しあわせでしかなかった。あったかかった。
後にも先にも、1度きりとなってしまった9人でのクリエ。9人でのステージ。
Love-tuneは7人になった。
みゅうくんの仲間が増えた。
顕嵐ちゃんと一緒♡心強い。
わたしは、このときも4人がいいとか4人がよかったとかこれっぽっちも思わなかったよ。
*2016年7月〜8月
7月23日.24日 嵐ツアー静岡
7月30日.31日 嵐ツアー鹿児島
7月26日〜29日 Love-tune EXシアター
8月6日.7日 嵐ツアー長野
8月8日 Love-tune EXシアター
8月9日.10日 嵐ツアー横アリ
8月11日 ABC-Z SLT 横アリ
8月12日.15日 Love-tune EXシアター
8月17日〜25日 Travis Japan EXシアター
みゅうくんは毎日のようにステージに立って、違うコンサート、違うセトリ、
すべて完璧にこなしてた。
ありがたい事に嵐もABC-Z も映像化してて8月のみゅうくんを今でもDVDで少しだけ見ることができる。
*2016年9月
9月3日(〜30日)ドリボスタート。
Love-tuneとして出演。
オリジナル曲がもらえた。オリジナル衣装ももらえた。
オリジナル衣装にみゅうくんが少しだけ携わっていて、嬉しかった。
後に(アイランドのパンフレット参照)みゅうくんの口から
朝、2グループ分の取材を受けて、帝劇でドリボ本番をやって、日生劇場に移動して10月に控えてるえび座の稽古をして、帝劇に戻ってドリボ本番をこなしてたことを知った。
もちろん合間に少年収もあるし、まよぷりロケもある。
*2016年10月
10月1日.2日 ABC-Z SLT 城ホ
10月5日〜27日 ABC座
みゅうくん21歳の誕生日。
えび座期間はドリボのときよりは、少しだけ落ち着いてて、でも痩せてて、役の関係もあるのかな?
えび座が終わって、やっと駆け抜けた夏秋が落ち着くのかなって思ってたけど、アイランドの稽古が始まった。
*2016年12月〜2017年1月
アイランド 12月 計35公演
1月 計38公演
アイランドの期間は、レポとかみても読んでもみゅうくんがトラジャとらぶどっちの衣装を着てどっちで出てるのかわからなくて、自分の目で確かめないとわからなくて、いつも、トラジャとらぶの衣装着てる人の人数を数えてた。
パンフも、劇場のポスターも、トラジャとらぶの間に居て、なんか嬉しくて。
たくさんの先輩がゲストに来た。
12月も、1月も、誰よりもたくさん出たのはみゅうくんだった。
*2017年2月
永瀬担のお友だちが当ててくれた少年収に行った。
みゅうくんは居なかった。
みゅうくんだけじゃない。如恵留.ひろきも居なかった。
Love-tuneが司会席でフリップを持って、全員で答え合わせるコーナーをやってて、お題が『東京といえば』で、東京ドームでコンサートをしたいって話で盛り上がってた。
みゅうくんはなんて答えるのかなって思った。
Travis JapanとLove-tuneコラボで1曲披露してた。
見れなかった。見ていられなかった。その場から逃げた。
全員みゅうくんの仲間なのに、どうしてココにみゅうくんは居ないんだろうって。
みゅうくんをすきになってから、みゅうくんを応援するようになってから、この1ヶ月がきっといままででいちばん泣いた。
みゅうくんどこにいるのかな?なにしてるのかな?ってココロここにあらずな日々を過ごしてた。
クリエが発表された。
ひろきの名前がなかった。理解できなかった。
だけど、冷静に考えるといろいろ思い返すと辻褄が合う。
アイランドのとき、みゅうくんは今までにないくらいひろきと、トラジャのメンバーと絡んでた。
トラジャになる前からひろきとは同じステージに立つことが多くて。
6年半、みゅうくんと一緒に居てくれてありがとう。
*2017年3月
LAへ短期ダンス留学してたみゅうくんが帰ってきた。
1番忙しかった9月頃、『時間があればダンス留学したい』
そう言ってた言葉を思い出した。
『今しかないって思った。自分を試したかった。』
毎日不安でたくさん泣いた1ヶ月は無駄じゃなかった。
24日〜26日 Jr祭り横アリ
みゅうくんはグッズ2パターンある。
2つも買える!嬉しい!しあわせ!
幕が開いて、トラジャ登場曲はプレゾンで何十回踊ってきた“情熱の一夜”だった。
はじめてトラジャにオリジナル衣装ができた。
情熱の一夜が終わって、らぶの登場曲のときトラジャのジャケットを脱いで、如恵留に預けて、長妻くんかららぶのジャケットを受けとって、さっと着て、らぶのジャケット着ながらトラジャのジャケットを手で持ったり羽織ったりしながら、外周まわるみゅうくんがすごく好きだった。
2月の少年収のとき、あんなに辛かったらぶとらコラボを笑顔でみれた。しあわせだった。
ステナビトラジャ対談で、メンバーが顕嵐ちゃんとひろきのことを話してた。
『9人で評価されはじめたばかりなのに‥。でも、顕嵐のやりたいことを、尊重したいから』そう悔しそうに話す宮近くんは強いなって思った。
顕嵐が抜けて、8人になって話し合いをたくさんして、みゅうくんは
『Love-tuneと掛け持ちだけど半分半分じゃない。俺の中には絶対両方100だという強い思いがある』と言った。
ひろきが辞めると聞いたとき、『クリエやサマステをやらせてもらえて、少クラにも呼ばれるようになって、アイランドでは、スノストと肩を並べて同じラインに立てるようになった。応援したいけど、なんで今?という気持ちが抑えられなくて。でもひろきの気持ちを尊重したい』
みゅうくんはそう言った。わたしもそう思ってた。
オリジナル曲が欲しい。
口々にみんなそう言ってた。
『最後のひとりになってもTravis Japanでいたいと思ってる。』
みゅうくんは対談の最後にこう言った。
わたしはみゅうくんのこういうところが、すきだなって改めて思って、かいと担と涙を流しながらLINEした(笑)
*2017年4月
4月8日.9日 Jr祭りさいたま
4月16日 運動会
キスマイのツアーバックがトラジャだと判明した。
キスマイツアー初日とLove-tuneクリエ日程が被ってた。
みゅうくんはどっち?モヤモヤしてた。
*2017年5月
夏の予定が発表された。
3年目のEXシアター。
キスマイのツアー日程と照らし合わせて、見事に被ってなくて、おそらくキスマイツアーは2箇所目(静岡)から参加かな、ってことで落ち着いた。
5月6日〜10日 Travis japan クリエ
5月11日〜17日 Love-tuneクリエ
5月20日.21日 キスマイツアー静岡
5月27日.28日 キスマイツアー札幌
北山くんが、Jrにも見せ場を作ってあげたい。って言ってるのを聞いたり、BBJ以来に二階堂くんとガッツリ一緒に仕事するのみゅうくんよかったね、って思った♡
わたしは大阪公演までお留守番。
*2017年6月〜7月
6月10日.11日 キスマイツアー広島
6月21日.22日 キスマイツアー名古屋
みゅうくん入所12周年。
9月帝劇アイランドが発表された。
Travis Japanにみゅうくんの名前がなかった。
気のせいかな?っていつも呑気なわたしは気に留めてなかった。
Twitterを開くと、『美勇人トラジャ抜けるの?』『トラジャに名前ないみたい』『こんなことになるなら掛け持ちなんてやらないで欲しかった』『結局そうなるんだよ、』
そんな言葉をたくさんみた。
だいすきな永瀬担のお友だちに泣きながら電話した。
いつもわたしの傍に居てくれて、いつも何かあると支えてくれるだいすきなひと。
ただただ黙ってわたしの話を聞いてくれた。
なんで泣いてるのかなんて、わからない。
理由もわからない。
みゅうくんに映画のお仕事が決まった。
安井くんと一緒。
名前の表記はLove-tuneだった。
みんなにたくさんおめでとうと言われた。
だいすきなお友だちから、おめでとうとたくさん言ってもらえた。
嬉しかった。しあわせでしかなかった。
映画の公開が楽しみでうきうきしてた♡♡
映画の撮影が北海道だと知った。
キスマイのコンサートの大阪公演の日に、撮影のエキストラを応募してることを知った。
その撮影にみゅうくんが居るのかは知らない。わからない。
今、みゅうくんは少クラでも、トラジャの衣装は着てなくてらぶとしてしか出番はない。
雑誌は変わらず2グループ分載ってる。
そして、わたしは明後日、キスマイ城ホに行ってきます。
もしかしたら、Travis Japanとして、
先輩のバックで踊るみゅうくんをみれるのは最後になるのかもしれない。
夏が終わって、秋が始まるとき、みゅうくんがTravis Japanが、Love-tuneがどうなっているかわからない。
みゅうくんの意思なのか、それとも汚い大人たちのやり方なのか、わからない。
わたしはそれを知る術がない。
だいすきなみゅうくんも教えてくれない。
いつか、顕嵐ちゃんやひろきたちのときのようにみゅうくんの仲間が話してくれる日が来るかも知れないし、なにも触れられないまま過ぎるかも知れない。
わたしは、みゅうくんがすきだからみゅうくんがどこに居ても誰と居てもみゅうくんはみゅうくんだからってずっと思ってきて、それは今も変わらなくて。
トラジャじゃなきゃ嫌だ!とか、Love-tuneが嫌!だとか、そんなの絶対おもわないし、みゅうくんががんばる場所がみゅうくんが輝ける場所がすき。
約2年半、みゅうくんはこれだけの数のお仕事をこなしてきた。
人間だから、完全無欠じゃないから、風邪ひくときもあるし体調悪い日もあったと思うけど、1日もステージに穴をあけなかった。
プロだから当たり前かも知れないけど、1日もステージもお仕事も休まなかった。
そんな、みゅうくんをずっとずっとみてきたから、何も知らないひとたちに『やっぱり掛け持ち無理なんじゃん』とか『こんなことになるなら掛け持ちしないで欲しかった』とか言われたくなかった。
みゅうくんの居場所が増えたのに、『Love-tuneなんてできなければよかった』なんて言葉見たくもなかったし、聞きたくなかった。
悔しかった。すごく悔しかった。
無理じゃないもん。みゅうくんやってきたもん。がんばってたもん。
みんながみんな、みゅうくんのことすきなわけじゃないし、よくおもわないひともいるかも知れないけど、みゅうくんが目にするとこで言わないで欲しいし、やめてほしい。みゅうくんの耳に入りませんように、、、あの時のように祈った。
Travis Japanは9人のときから8人
8人のときから7人
7人のときから6人
同じ曲をやっても、フォーメーションをかえて、まったく違う曲だったように魅せる。
そんな技を持ってる。
だから、ココみゅうくんのパートだったとかみゅうくんも居たのにって思いたくない。
みゅうくんだけが掛け持ちで、大変だね、とか大丈夫?とかどっちがいいの?とか、今まで何十回聞かれた。いちばん大変なのはみゅうくんだから、わたしは大丈夫!!わたしはなんてことない。
まったく違った雰囲気のみゅうくんや、ちがう衣装着てるのとか、全然ちがう曲やってるの、他のひとより2倍みれるんだよ、いいでしょ\( ˆoˆ )/すごいでしょ\( ˆoˆ )/たのしいよ\( ˆoˆ )/って答えてきた(笑)
毎年、みゅうくんのお誕生日や入所祝いをするときに、みゅうくんの画像をみてるとみゅうくんは本当にたくさんの仲間に囲まれていて愛されていて、いつも笑っていて、みゅうくんのまわりにはたくさんの愛がある。
いつだったか、安井くんが『美勇人のこと嫌いなひと居ないんじゃない』って言ってくれた。
今年のクリエでは、MCでツアーの宿泊先ホテルがみゅうくんと長妻くんふたり部屋だったのに、しめちゃん宮近くん顕嵐ちゃん大我廉くんかいとが集まってきてて、口々に『美勇人の傍いやすい』って言ってくれた。
みゅうくんは争い事が嫌いで、人と揉めたりすることも苦手で。あまり怒らなくて、穏やかで、何か決めるときもメンバーの意見を聞く人で、自分が自分がって我を通す人ではなくて。みんなが居やすい空気を作れるひとで、優しくて、行動がかっこよくて、でも、負けず嫌いで、“できない”って思われたくない人で、自分のせいで遅れるのが嫌なひと。
わたしは、森田美勇人がだいすきで仕方ないから。
押し付けに思われるかも知れないけど、確かに確実にみゅうくんががんばってきた日々を知って欲しい。
わたしはみゅうくんをみてきてホントにずっとしあわせだし、ずっと楽しいし、今年の夏も楽しい思い出ができますように♡